リオイリ小話その3

時系列は一緒に住み始めた直後くらい?

 夕飯のための買い物も終わり、人々が足早に通りをかけていく。市場は店じまいを始め、それと同時に酒場の明かりが灯される頃。宵の口独特の薄闇の中を二つの人影が歩いていた。片方の影はフードを被っている。道行く人は一瞬彼らに目を留めるが、別段気にすることもなく去っていく。二人は城下町の大通りから逸れた裏通りに入り、しばらく進んだ後一軒の店を見つけて立ち止まった。小ぢんまりとはしているが小綺麗で老舗という感じの服屋。看板には“アールテンの仕立て屋”と書かれている。

「ちょっと待ってて。」

 フードの影は相方の言葉にこくりと頷いた。それを見て相方は狭い脇道に入ると裏口の戸を叩いた。ほどなくして一人の女性が姿を見せる。肩にかかるくらいのウェーブがかった金髪に栗色の瞳。すらりとした体躯に仕立て屋用の黒いエプロンを身に着けている。歳は二十かそこらだ。彼女は扉の前の人物──幼馴染の森の番人を見て変な顔をした。

「本日の営業は終了致しましたー。明日のご来店をお待ちしておりますー。」

「開口一番それは酷いだろ、ロザリー。」

「森暮らしで世間の時間感覚を忘れちゃったわけ? リオン?」

「……まぁ自分でも非常識な行動だとは思うけどさ。君にしか頼めないことがあるんだ。」

「……。」

 彼女は何かを疑うような目を向ける。

「ご用件を一言で言って。」

「女の子の服を一式揃えたい。」

「……は?」

「おい待て扉閉めるな!」

 少しの後、彼女はまた顔を覗かせた。

「……あんたも愛妾を囲うお年頃か……。」

「何の話だよ! まだ正妻もいないわ!」

「だって? 考えてみなさいよ。仮にもお貴族様のあんたならここ以外にも選べる仕立て屋はあるでしょう? なのにわざわざあたしんところ来て、しかも普通の営業時間は終わった後に。そして言うことが姉妹もいないあんたが女の子の服が欲しい、ったぁ……何か事件の香りがすると見ていいかと。少なくともやましいことがあるんでしょう?」

「それは後で説明する。ちょっと付き合ってくれるか? 勿論お代は多めに払うつもりだ。」

「……。」

 どことなく真剣な彼の眼差しに折れたのか、彼女は溜息をつくと言った。

「入って。」

 色とりどりの糸や布に囲まれた作業場。そこに隣接する待合室に三人はいた。向かい合ったソファ二つの片側に二人、テーブルを挟んで片側に店主。彼女は探るような目つきでフードを被った人物を見つめていた。目元が隠れているため殊更不審な視線を遠慮なくぶつけている。

「ご来店いただき誠にありがとうございます。ここは貴族様から皆様方まで、どんなご注文も引き受ける仕立て屋、アールテンの仕立て屋。マードック家には代々御贔屓にしていただき恐悦至極に存じます。あたしは店主のロザリー・アールテンと言う者です。以後お見知りおきを。……で、そのフードちゃんがあんたの恋人?」

「恋人じゃない。……イリス、もうフードを脱いでも大丈夫だよ。」

「分かった。」

 言われた通りに彼女はフードを下した。隠れていたもこもこの桃銀色の髪がこぼれ、あどけなさを感じる金の瞳と片頬の鱗が明かりの元に晒される。

「……!」

 店主は驚いたように目を丸くした。そして笑みを浮かべてリオンを見る。

「あんたには勿体ないくらい可愛い子ね。」

「だから別にそんな関係じゃねぇって! ……彼女はイリス。いろいろあって俺の研究に協力してもらってる。」

「研究?」

「ジェルヴェーズ家からお触れが出てただろ? あれだよあれ。」

「……あぁ。領主様、そんなことも言ってたわね。」

「それで、まぁ、一緒に住んでた方が好都合なことも多いしで一緒に住むことになったんだけど──」

「女っ気も洒落っ気も欠片もないリオンくんには女の子の服を買うあてもないからここに来た、と。」

「……ご明察の通りでございます。まぁ、ここを選んだのはそれだけじゃないんだけど。」

「というと?」

「彼女の髪とか目を見て何も思わなかったか?」

「珍しいなって思った。金色の目なんて女神様みたいじゃない。」

「そう、下手に有名店に連れて行ったところで騒ぎになりかねないんじゃって思って。君なら長年の付き合いで信用できるし下手に言いふらしたりしないだろ?」

「まぁお客様の内部事情には突っ込まないって決めてるしそこはご安心を。」

「有難い。」

 彼は頭を下げた。店主はそんな彼を見て「それで、」と口を開く。

「要はこの子……えっと、イリスちゃん、だっけ? に必要な服を揃えればいいってことね?」

「あぁ。暮らすのに事足りるだけ。」

「イリスちゃんは今着てる以外の服持ってないわけ?」

「ない。」

 彼女は短くぽつりと答えた。

「……。ま、何とかしましょう。まずは採寸ね。付いてきて。」

 店主は立ち上がるとイリスに手を差し伸べた。おずおずとそれを取り、二人は店の奥に消えていく。奥の部屋の扉を閉める前に、店主はリオンに言った。

「覗くなよ。」

「覗かねぇよ!」

 非常識な幼馴染が連れてきた客人は驚くことばかりだった。

 まず採寸のために服を脱いでもらうと、体自体は非常に均整のとれた人形のようなものだった。が、その肌は彼女の美しい肢体に反して傷だらけだった。特にそれを隠す様子もなく彼女は平然としている。

「……あなた、一体どんな暮らしをしてきたのよ。」

 内部事情に突っ込まない、とは言ったが気になるものは気になるのだ。思わずそう呟いてしまい、慌てて「ごめんなさい。」と謝る。だが彼女は特に気にした様子もなく答えてくれた。

「ずっと歪み……化け物と戦ってきたんだ。下手を打って怪我くらいはするさ。あぁ、でも右の脇腹のものは人間に刺されたときのものだ。」

「化け物と? 誰かに依頼されたってこと?」

「いや。それが私の使命なんだ。」

 普通なら何を言っているのだ、と一笑に付すところだが、あまりに真っすぐな目でそう言われればそういうものかと自然と信じてみたくなる。とことん不思議な人だ。

「人間に刺されたって言うのは?」

「少し前に戦乱があっただろ。その時に敵と勘違いされて襲われた。私も油断してしまっていたらから上手く避けられなかったんだ。」

「戦乱?」

 彼女は頭の中でそれらしき情報を探す。客の中には遠方からやってくる者も若干いたが、そんな話は聞いたことなかった。百年近く前に戦があったとは幼いころ祖父に聞いたことがあるが。とにかく彼女は普通の人生を生きてはいない、かなり訳ありな人物なのだろうと察する。そしてそんな彼女を何故あの幼馴染は自分の家に住まわせようとしているのだろうか。化け物駆除の方法を考える上で戦い慣れていると思しき彼女は恰好のアドバイザーになると思ったのだろうか。いや、それにしても──

「いくら合理的に好都合だからって、よくあなたも知らん男と同じ家に住む気になったわね。しかも森の中で二人っきりとか何されても助けてもらえないじゃない。」

 彼がそんな真似をするとは思えないが、常識的に考えれば。

「彼の作る料理が美味しいんだ。それとベッドの寝心地がいい。ふかふかで温かい。」

「……それだけ?」

「あぁ。」

 嬉しそうに彼女は頷いた。それで大丈夫なのだろうか。いろいろと。

 採寸用の紐を片手に彼女に近づくとふわりと薔薇の匂いがした。貴婦人でもここまでかぐわしい香水を身にまとった人はいない。思わず彼女はその場に固まってずっとその匂いを嗅いでいたくなった。

「どうした?」

 動かない彼女を不思議に思ったのか、イリスが声をかける。はっと我に返り彼女は首を振った。

「あなた、どんな香水をつけているの? とってもいい匂いがするから、つい。」

「コウスイ?」

「……え、これで何もつけてない、わけない、わよね?」

 あと考えられるとしたらここに来る直前に薔薇に埋もれてきたか何かだが、それも考え難い。

「別に何もしていない。」

「……そう。」

 どこか浮世離れした雰囲気や金の瞳と合わせて考えると、まるで彼女は恩寵の女神の化身のようだ。傷だらけで戦うのも、その身をもって竜を追い払い諭した女神様の姿に重なる。彼は一体どうやって彼女を見つけ出してきたのだろうとますます疑問が増える。

「ねぇ、あなたから見たリオンってどんな奴?」

 ふと気になって聞いてみると彼女はしばらく考えて答えた。

「……優しくて心地よい人間だ。」

「なるほど。」

 間違ってはいない。

「本当に彼、バカみたいに優しすぎるわよね。こんなこと言うのもあれだけど森住まいになって正解だったんじゃないかって思うわ。」

「何故?」

「だって人を騙せるようなツラしてないじゃない? あんなんじゃ領主様に近い場所にいたって、別の人に利用されて終わりよ。彼のお父様とかおじい様はもっと覇気とか威厳があったけど、彼にはそんなのないわ。」

「……ふむ。」

 分かったような分かっていないような声で彼女は相槌を打つ。

「君と彼はどんな関係なんだ?」

「幼馴染、っていうか? この店はあたしのおじい様のおじい様の代からあるんだけど、昔からマードック家はうちを懇意にしてくださっていて。彼のおじい様もお父様もこだわりが強い人でね、召使を使いに出すんじゃなくてご自分でこの店に来てあれこれご注文をしていたの。あたしも小さいころから店の手伝いしててさ、ちょくちょくリオンとも顔を合わせてたのよ。それで付き合い自体はもう十年以上って感じ?」

「なるほど。」

「まぁ、昔は向こうは立派な貴族様でこっちは中流の商家だったから幼馴染っていうのも分不相応かもだけど。」

「……そうか。」

 しばらく黙って、再び彼女は言った。

「てっきり……恋人というものかと。」

「ない。」

 即答。

「なんだか親しげに話していたからそういうものかと思ったんだが。」

「イリスちゃん純粋すぎない? それにあたしにはもう婚約者がいるの。」

 ほら、と彼女は部屋の隅を指さした。未完成のドレスが置いてある。少し照れ臭そうに彼女は言った。

「あれ、あたしの花嫁衣裳なんだ。自分で作ってるの。それが小さいころからの夢だったから。」

「……。すごいな。」

 装飾をふんだんに取り入れたデザインではないものの、丁寧に作られたそれはイリスの目にも何か特別なものとして映ったようだ。思わずじっと見ていると彼女はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「イリスちゃんも花嫁衣裳をご用命の際はぜひお任せくださいな。」

「そういったものは私には縁がないよ。」

「どうだか。」

 彼女はちらりと視線を扉に向ける。その奥で待っているだろう、彼へ。

「──よし、採寸終わり。一旦これ着てて。じゃあ次はこっちで服を選びましょうか。」

 手渡された白いワンピースを着ると彼女は店主の後を追った。

 イリスが靴下から寝間着まで一通り選び終わり、店主はせっせとそれらの服を綺麗にたたんで袋詰めしていた。見事に似たような色とデザインばかりで、どうも彼女にはあまりこだわりがないらしい。というよりもこれまで話していて、彼女は着飾るという行為自体に関心が驚くほどないということが分かった。それではあんまりだと店主なりにあれこれアドバイスをして、結局一着だけ可愛らしい服を選んでくれたのは嬉しかった。その服はせっかくだから着て帰ったら、と提案すると素直にそうすると言ったので、現在イリスはお着換え中である。ふとカーテンが開く音がして彼女はそちらに目を向けた。

 ふわふわのフリルに彩られた桃色の膝より少し長めの丈のワンピースを纏った少女が落ち着きなさげに佇んでいる。ぎゅっと試着室のカーテンを掴んだままなのがなんとも愛おしい。

「……~~ッ!」

 こうして見ると、いや初めて見た時から思っていたことだが彼女は可愛い。やはり自分の見立てに狂いはなかった。ロザリーは思わず抱きしめてもこもこの髪を撫でた。自分の身長が少し高めなのもあるが、すっぽり収まる彼女がことさら可愛い。

「な……っ?」

「イリスちゃんやば……めちゃ可愛い……!」

「???」

 突然抱きしめられ撫でられ、彼女は混乱しっぱなしだった。

「くすぐったい……。……り、リオン、たすけ」

「呼んだか!?」

 扉をばんと開けて彼が入ってきた。そこで彼が目にしたのは店主に抱き着かれわしゃわしゃと頭を撫でられて、戸惑いながら少しだけ頬を赤らめている可愛らしいワンピースを着た同居人。一瞬彼は固まって、すぐ後ろを向いて顔に手をあてて呟く。

「……やば。」

「リオン??」

「耳が赤いぞリオンくん?」

 やっとロザリーはイリスから離れるとにやにやしながらリオンの背に声をかける。彼は振り向いたがやはりその顔は赤かった。

「うるさいわ!」

「はいこれ請求書。」

 反論の言葉を気にも留めず、彼女は一枚の紙を彼に差し出す。それを受け取ってはたと彼は気づいた。

「……この取り消し線引いてあるの、今着てるやつか?」

「そ。あんまりにもイリスちゃんに似合うし可愛いからおまけよ。それはあたしからのプレゼントってことにしといてあげる。」

「いやでも──」

 言いかけた彼を遮って店主は笑った。

「いつかもっと高い買い物してもらうから、その時にそのぶんは回収するわよ。」

「?」

 意味が分からず彼は首を傾げた。まぁいいかと代金を払い、感謝を述べて店を出る。

「今後も御贔屓にー。イリスちゃんまた連れてきてね。なんならイリスちゃんうち来る?」

 冗談めかしてそう言うと反応したのは彼の方だった。

「君には渡さないからな。」

「自分のものでもないくせにぃ。やっぱそういうことなんですねぇ?」

「……今は俺の協力者だから。」

「はいはいお幸せに。」

 また彼が何か言いかけたが、彼女はさっさと裏口の扉を閉めた。今度こそ本当に店じまいである。

すずもちの蔵

すずもちの蔵へようこそお越しくださいました。 すずもちが作ったあれこれを置いておいたりつらつら語ったりします。

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